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施術者の思い

「もう娘のアトピーは治らないのかな・・・」

次女が生まれて2ヶ月から
ずっとずっとお肌が荒れていて
悩み続けて3年。

当時、アトピー患者さんが書いた
ステロイドの被害が書いてある本を読んで
2回目の脱ステをはじめて1年たった頃でした。

よくなるどころか悪化して
入院になった娘を見ながら
当時の私はこんなふうに考えていました。

娘のアトピーを良くしたくて
いっぱい調べて悩んで鬱っぽくなって
娘を目の前にして何度抱きながら
泣いたかわからない。

そんな状況から助け出してくれたのが
鍼灸でした。

しかも簡単に、大変な思いをすることもなく。

鍼灸で娘のアトピーが綺麗になって
子育てが楽しくなったし
可愛い写真が撮れるようになった。

仕事にもいけなくなっていたけれど
また大好きな仕事ができるようになった。

たくさん遠回りをしたけれど
その分たくさんの情報と経験を手に入れた。

そんな私は娘のアトピーが良くなって
鍼灸師として再スタートするときに

私たち親子と同じように悩む人の力になる
アトピーで悩むことがない人生を手にいれる
母になっても自分のやりたいことを叶えていく

鍼灸を通して
私はこれがやりたいと思った。

1983年。わたしは大阪のコテコテな
下町で生まれた。

3人姉弟の長女として生まれた私は
友達にも恵まれ楽しく過ごしていた。

祖父と仲が良かったんだけど、
その祖父のすすめもあって、小1の時に
あるスイミングに通うことになった。

夏だけのスイミングだったんだけど
毎日お小遣いをもらって電車で
1時間かけて通っていた。

小2の時は弟の出産とかぶって
しまっていけなかったんだけど
3年の時にはまたいくことになった。

そこでシンクロ(アーティスティック
スイミング)と出会った。

体験会に出たあと楽しかったからと
気楽な感じでシンクロを始めた。

が、始めたらめちゃくちゃ練習が大変で
辞めたい。。。と思うこともあったんだけど
シンクロの友達が大好きで友達に会いたくて
続けていた。

演技を作るのも好きで
大変だけど楽しく過ごしていた。

頑張ることを割と当たり前する性格なのと
入ったのが強いチームだったこともあって

小学生で全国2位
中学では中2、中3と2連覇するなど、

私のシンクロ人生は順調だった。

そして高校の時にはジュニア
ナショナルチームに入り
日本代表として活動するようになった。

そんなときだった。

中学から調子が悪かった腰痛で
動けなくなってしまった。

いろんな病院や整体、鍼にも行ったりしたし
トレーニングも行ってきたけれど
長期休みを取らないといけなくなってしまった。

もう辞めようかなと思った時に
仲間がいてくれたおかげで
また泳ぎ出した。

その頃から日本代表チームの
トレーナーさんのケアを受けて
体が本当に楽になって
私も自分のように怪我で苦しんだ人を
サポートする仕事がしたいと思うようになった。

シンクロやり切ったぞー!
って思えるくらいやり切って引退した。

そのあと、自分のこれからを考えた時に


ラスベガスでショーに挑戦する
アスリートのサポートをする

この2択で悩んだ。

私は鍼灸の免許をとって、
アスリートの体のケアをすることを選んだ。

そこからスポーツ専門の整骨院で
働いたりしながら過ごしていた。

ママにもなって鍼灸の腕を
もっとあげたいと弟子入りもした。

そこでみたものは、私が知っていた
鍼灸と違うものだった。

病院へ行ってもダメだった人や
難病といわれるような疾患の人
がたくさん来るところだった。

肩こりや腰痛に鍼灸
といったものとは違うものだった。

そこに弟子入りする前の年に次女は生まれた。

その子は生後2ヶ月から乳児湿疹が出てて
近所の小児科のおじいちゃん先生に
予防接種に行った時に
肌が荒れているから出しておくねと
非ステロイド系のお薬(アズノール)
を出してもらいった。

長女のおむつかぶれにも出してもらったお薬で
よく効いたので
よかったという思いで塗ったんだけど
なんと、よくなるどころかお薬で
かぶれてズルズルに。

ショックだったけれど
なんだか漠然とステロイドが怖かった私は
塗らずにネットで情報を集め始めた。

いい病院
いい保湿剤
いい食べ物
いい洗剤

たくさん調べて試してみたけど
悪くなるばかりでよくなりません。

病院にも何件も行った。

ステロイドを使うとよくなるけど
やめるとすぐに悪くなる。

ずっと使い続けることが怖くて
薬が効かなくて強い薬になっていく
ことも怖くて、ドクターショッピングと
言われるようなことを続けていた。

ある大阪の皮膚科に行ったとき
アトピーの症状がとても良くなった
病院に出会った。

その病院ではお薬以外もとても
こだわられていて
独自の保湿剤があったり
ワセリンも精製度の高いサンホワイトと
いうものを使っていたりで
お薬以外のケア方法も教えてもらえて
それが娘にとってとても合ういい方法だった。

痒みで眠れなかったり
見た目も汁が出ていてみていられない。

もうステロイドを使わないと
生活していけない。

そう思い、お薬を使いながら
やっていくことを決めました。

このあたりで鍼灸院で働き始めたんだけど
そこにはアトピーでお悩みの方が
たくさん来られていた。

そこの先生が、ステロイドを
使用しないという方針の先生で
私もその先生の考えを聞き、学び
今まで娘にステロイドを使い続けるなんて

なんてことをしてしまったんだろうと思った。

すぐに脱ステして。
アトピーについて学び始めた。

でも、激務でなかなか娘を
師匠のところに連れていくこともできず
脱ステ1年で悪化して入院。

2回目の脱ステ挫折。
もう絶望しかなかった。

いっぱい頑張ったのに子育ても仕事も
何もかも中途半端で
アトピーは治らないし入院になった。

もうやめた

脱ステも仕事も食事に気を使うことも
全部やめた。諦めた
鍼灸師も私には無理やわ。

と白衣も本も捨てた。

そうして過ごしているとむくむくと
「私、鍼灸師なのにこの子に鍼だけしてないぞ」
と思い始めた。

入院後ステロイドを使っていたけれど、
全然量が減らないどころか
悪化していくような感じに
また不安を覚え始めたからだったと思う。

でも子供への鍼のやり方がわからないので
小児はりと看板に掲げているところや
ホームページに書いているところを
何軒も回ってみた。

ある鍼灸院に行った時に、鍼が終わったあと
いつもは痒がってから寝るのに
すーっと寝たのをみて
よくなる気がする。

私これがやりたい。

そう思って、その先生にどこに勉強に
行けばいいのか聞き
学びにいくことにした。

学び始めてすぐに
毎日娘に鍼灸をやり始めた。

もうこれが私ができることも最後だと
藁をも掴むような気持ちだった。

すると、あんなに何をしても良くならなかった
何年も治らなかったアトピーが
鍼灸を始めて2ヶ月たったころ
ステロイドを塗る場所がなくなってきたのだ。

で、そのまま塗る場所がなくなって
ステロイドを卒業。

早かった。

あんなに何年も苦労していたのに
3ヶ月くらいでお薬がいらなくなった。

その後、娘はステロイドが必要な
状況になっていない。

驚いたし感動した。

あんなに何年も頑張って
できること全部したのにダメだった。
正直、鍼灸にもそこまで期待してなかった。

でもリバウンドもなく楽に
アトピーが出なくなった。
ステロイドをやめたあとみたいな
またぶり返して困るようなこともなくなった。

鍼灸で人生が変わった瞬間だった。

鍼灸すごいかも。
とチックと喘息が出ていた長女にも
鍼灸をしたら、出なくなった。

子育ての悩みが減ったことで
またやりたかった鍼灸の仕事を
始められるようになった。

再スタートをするときに
鍼灸でアトピーが良くなる
をもっと知ってもらいたいと思ったし
そのために活動をしてる。

だって一度きりのあなたの人生。

楽しく生きてほしい!

私は人生において自分で決めてきたから
後悔することってほとんどないんだけど。

このふたつだけ後悔してる。

乳児期の肌荒れが食物アレルギーの
リスクを高くすること

可愛い乳幼児期にアトピーのことばかり
考えて過ごしたこと

次女のアトピーが落ち着いたこともあって
弟も我が家にやってきてくれた。

3人目ってこともあるんだろうけど
乳幼児期って本当に可愛い時期なんだよね。

次女の時ももっと楽しめば良かった。

それだけ後悔してる。

でもこんなのは私が先に経験したから
みんなにはいらないよー!って思ってる。

生きている誰もが
幸せで豊かな方向にしか流れない

人生の中を生きているから。

楽にアトピー良くなった
これを取りにわたしのところに
来てくれたらなと思います。

そう思って今いろいろと活動しているんですが

鍼灸院やセミナー
講演や学会発表

たくさん活動の場をいただけるのは
支えてくださるみなさんのおかげだと
めちゃくちゃ感謝しています。

ほんとにありがとうございます( ;  ; )

長文になりましたがここまで
読んでくれてありがとうございました✨